2016年1月26日火曜日

おまけについて

「おまけ」という考え方の限界が来ている。
通販で何かを買うとついてくる「おまけ」。
おまけ、は「付属品」とは違う。商品とは全く無関係なものが届く。
例えば、食料品を頼んでいるのに、おまけにブランケットがついてくる、という具合だ。
このやり方、確かにバブル崩壊後には効果的だったろう。「ものをくれる人は良い人」という考え方だ。
だが、よーく考えると、その「おまけ」を製造するのにも費用がかかっているはず。そのおまけが欲しいから、と商品を購入することを決定する人はどのぐらいの比率がいるのだろうか?
おまけ、とは「おまけ自体が目的」の商品もある。食玩などに代表されるそれらは、おもちゃ屋ではなく、食料品として店頭にならべるために、「おまけ程度のお菓子」が「おまけ」についてくる。
その考え方とは全く異なる。
ブランケットくらい、欲しいと思ったら自分の好きな柄ものもを買いに行く。
いらないから捨てる、というのは精神が傷つくのだ。もったいない精神だ。なんだかとてつもなく悪い事をしているように思える。しかも食品と違って「腐らない」から、「いつか使うかも」といって残しておける。残念ながらその日は絶対に来ない事がわかっているから、捨てなくてはならない。だが、捨てると心が傷つく。
欲しい商品を買って、その商品自体満足いているのに、それについてくるおまけで心が傷つきつづけるのだ。
経費対策なことが見え見えなのだ。そのお金、従業員に還元できないものか。金一封3000円くらいなら、全従業員に渡せるのではなかろうか? 
税金でとられる分を、お客様へのサービスに変換する、のは「やり方」を間違うとただの無駄になるのだ。
紅茶のお店のおまけはシンプルだ。「新作の試飲用ティーバッグ」だ。素晴らしい。宣伝も兼ね、なおかつ顧客も大喜びだ。何せ、お茶が好きで買っているわけで、そのお茶そのものがおまけなのだ。だが、その紅茶のお店が「Tシャツ作りました」といって配って何になる? いらないよそんなもん。
この例は、誰しもが「おかしい」と思う事例だが、実際にそういうことを平然と、前時代の惰性で続けている企業は多い。

同人サークルはどうだろう?
音楽サークルは、タペストリーや紙袋、ポスターなどをCDのおまけに付けたりする。
それらはこの「おかしさ」を感じない。何故ならば、「関連品」だからだ。

まー、当たり前のことだけど、配る紙袋は当然、CDのジャケットの絵が描いてあるわけで、サークルのロゴもちゃんと描かれていて、その紙袋を持って歩けば「宣伝効果」になるという原理。
ファンサービスと宣伝も兼ね、なおかつ実用も兼ねる紙袋はまさしく「おまけ」の代名詞だ。

…一部にはこの紙袋が主でCDがおまけだ、と言い張るサークルもあるようだが…まぁ、それは置いておく。

ところがもしこれが「みんなおまけが欲しいらしい」といって、何も関連性のないものを配っても、ファンは何もありがたいとは思わない。(お菓子を配るのはまた違う)

そんなおまけを作るために金使うくらいなら、一曲増やしたり、1ページ増やしたりしろやああと思うのは買う側の正直な気持ちだろう。そもそも「価格を安くしろ」と思うかもしれない。
全くその通りだと思う。そのおまけにかけた経費を商品に還元すればいいだけのことではないか?と思うのだが、そこは大人の事情というのがあるらしい。
しがない同人作家にはそれはわからないが、企業というのは大変難しい何かを抱えているのだ。

ファングッズはファングッズなので、意味が全く異なる。
そんな当たり前の、同人サークルでもわかることを、企業はやっている。

捨てる、という行為は心が傷つく。
ずっと、いらないおまけ、に傷つけられ続けている。