2018年2月27日火曜日

道具の大切さ

ここ一ヶ月、音楽の生産性が下がっております。
Twitterばっかりしてる、という事もありますがその理由を考えてみなくてはなりません。

別に病気になったわけでもやる気が無いわけでもない。

最近、右肩が痛く、目も疲れます。歳…? そんなに急激な老化が?
何かしらのテレビを見ていて、ふと気づきました。

「道具」

あーー、と思いました。
一ヶ月前、4年使っていたマウスが逝きました。
デザインが似ている、低価格、という事だけで替わりを買ったのですが
これがどうにも、精度がよろしくない。

いや、メーカーの名誉のために言えば
恐らくは「普通よりも良いマウス」でありましょう。
しかし、ほぼ全ての打ち込みをマウスで行う私の音楽制作スタイルでは
ゲーマーもびっくりの高精度を要求されるわけです。

ピアノロールを打ち込むのも
エクスプレッションカーブを描くのも
スピードと正確さを要求するわけです。
特に、エクスプレッションなどは、「92」「107」とかいう数字が大嫌いで
「90」「110」でなければ満足しない性癖の持ち主。

新しいマウスに替えてから、打ち込みミス、数字合わせのイライラが蓄積し
さらに、右手に妙な力がかかっていて、それが肘にダメージを与えているようで
首も凝り、目も疲れる…

「高精細って書いてあったじゃん!!」

って思いますが、そういえば以前使っていたマウスは「ゲーミングマウス」
通常使用では必要無い程の精度を誇るマウスでした。

私にとっては、マウスは楽器と同じ。
精度が低いマウスでは、身体自体にダメージが蓄積します。
いかんいかん。

私はDTMerでは珍しく、鍵盤とか、パッドとかをほとんど必要としません。
逆に言えば、マウスでほぼ全ての作業をするわけです。

マウスの精度に対するイライラが、日々蓄積し
集中できず、生産効率が落ちていた、というわけです。
それに気付くのに…一ヶ月かかっちゃったよ…

マウス買いに行ってきます。

ちなみに、以前使っていたマウスは
Logicool Performance Mouse MX 950
(実はコレでも解像度は1500dpiだった)

買って…、書い直す事にしたマウスは
Logicool M500

2018年2月20日火曜日

歌モノをつくるとき

普段、インストばかり作っていますが
今年は何故か、ずっと歌モノを作っている。

「よおし、今年は歌モノ作るぞぉ」

と思っていたので、それが現実になって良いのですが
携わった数が圧倒的に少ないのでてんやわんや。

歌の極意について、常に生徒に言っている事があって
「青い空、白い雲」という歌詞があったとし、
それを、

久しぶりの休みにお出かけした時の「青い空、白い雲」
待ちに待った、友人との遊びに行く日の「青い空、白い雲」
卒業式の日の「青い空、白い雲」
大切な人と別れた時に見た「青い空、白い雲」

メロディーだけで、差分を作る

という課題を出しています。

あまりにもありきたりな歌詞ですが
この課題は実に有意義で、歌とは何かを深く考えさせられます。

DTMerの皆さん、一度やってみると良いでしょう。

2018年1月31日水曜日

デジタルなのに?

ノイズが乗ります。

結論から言うと、ハードシンセはノイズが乗るのです。

私のシンセケーブルは、1m6,000円もするケーブルです(しかもモノラルで)
LRで1m/12,000円もするケーブルを使っているのです。

にも関わらず、ノイズが乗ります。

いや

元々ハードなんで、完全にノイズゼロというわけにはいきません。
しかし、古いせいもあるのでしょう。とてもとてもノイズが気になるのです。

さーーー

うーむ…仕方ないので、Coaxに頼ります。
コアキシャルなら、デジタルだから、ノイズは乗らないはず!
乗らないはず!!

ざざっ

なんでやんねん!!

いや、このノイズは、デジタルノイズだから、きっとシンクが切れる音だ。
って、なんでシンクがそんなに頻繁に切れるのさっ?!

格闘すること、8時間。

結論は…


ケーブルが悪かったのです




2018年1月29日月曜日

きっかけはどこから…?

コミティアに向けて絶賛新譜製作中です。

曲を作りを始める際に、楽器に向かう場合、何の楽器に向かうか、ですでに曲がある程度形が決まってきます。
私に場合には主にピアノ、です。ピアノで曲を作り始めると当然ピアノの曲になってしまいます。オケの曲を作ろう、と思ったらピアノに向かってしまうと何かがおかしくなります。

これ、ギターだと弾き語りという手がある為、とても羨ましく、ピアノだって引き語りが可能なのであって、今年はそれらに積極的に挑もうと思っているわけですが、

楽器が弾けるとやはり便利なのです。
ただ、ピアノ弾きの私はギターにとてもコンプレックスがあります。弾きたくて何度も試みましたが挫折し、もうすっかり諦めました。ピアノも難しいことができるわけでも無く、演奏者としてはとても人前には立てません。

でも、なんというか、そういうのをどうやらこだわり過ぎていたらしく、もっと気楽に構えていい時代のようです。積極的にライブをやりたいなぁと思っておりますが。

楽器が弾けると、その楽器に頼ります。
逆に言えば、何でもある程度楽器ができさえすれば、どこからでも入れるのです。
私は金管とピアノです。

2018年1月28日日曜日

サビだけの音楽

生徒の一人に中学生の子がいるのですが
この子が実によく出来た子です。
叔母さんがイギリス、スコットランドに住んでいるらしく
毎年にように遊びに行くという影響なのか
ずば抜けた視野の広さを持っていて感心しています。

その子が言うには
「最近の若い子(自分で言うw)は、過程をすっ飛ばす」
と、嘆いている。
出来上がっているものを見たりいじったりするのは出来ても
作る過程というか、工程というかはめんど臭いだけで無駄だと思っている。
音楽も、イントロがあって、Aメロがあって、展開があってサビがあるから盛り上がるし
盛り上がるためのボルテージを徐々に高めて行く過程があっての最高点なのに
サビしか聞かない、とか、動画とか見てても飛ばして見たいところだけ見るとか
俺に言わせれば、馬鹿じゃ無いの?って思う、と
先生はどう思います?

いやーー、出来たお子さんです。親御さんがとても立派な教育をなされているようです。

様式美、という概念があります。
何十年も、何百年もかけて人類が積み上げてきた美意識があります。
形式ばったもの、というものがあります。
それは、その時代時代によって、その形が最も適していると
その時々の人々が選んできた「結晶」です。
なので、それに抗う、あるいは変化させるというのは
相当のセンスと覚悟が必要となります。

私たちはまず、その形式に対して、なぜそういう形なのか、という意味を理解し
その上で、現代に適応した姿を模索するべきです。

中華料理店で酢豚を注文し
「酢豚、野菜抜きで」って言ったらそれはもはや酢豚ではありません。
酢豚の豚肉だけをたべてえ、後は残したり
ヴィッフェタイプで、肉だけ取っていったりする行為は
別に、悪いことでは無いでしょう。
しかし、社会的に美しいでしょうか?
どうにも、自由意志による決定、とは割り切れない違和感を感じます。

その違和感は「形式に囚われている」というのでしょうか?
既成概念、でしょうか?
何故そこに、野菜が入っているか、パイナップルが入っているか
その意味を、わかっていないだけでは無いでしょうか?
その意味を知った時、1つの形を理解でき、全体像を捉えることができるのではないでしょうか?
長年かけて作られてきた形式には、確かに現代に適応できていない形もあります。
しかしそれも、形式を知った上で、適応させて行くべきではないでしょうか?

形式を知る事は、大人になる事です。
物事の意味を理解するという事です。

日本の音楽が何故、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、があるのか。そして何故最近は大サビと呼ばれる部分があるのか。
そこに「何故そうなのか」という疑問に対する答えを準備しないと、作る側も自信を持って作れませんし、聞く側にもそれを伝えるこちはできません。

2018年1月26日金曜日

「降りてくる」という現象について 1

音楽家がよく使う言葉です。

「降りてくる」

これは音楽のメロディーや動機、歌詞などが
何の前触れもなく脳裏に浮かぶ現象です。
並の音楽家なら一度や二度は経験したことがあるでしょう。

この「降りてくる」という現象が脳科学的になんと呼ばれているか正確にはわかりませんが、一種の「ひらめき」みたいなものなのでしょう。

この「ひらめき」とは意図的に起こせる現象ではない。
…というのが通説ですが、本当にそうでしょうか?

茂木健一郎「すべては音楽から生まれる」
久石譲 「感動をつくれますか?」

この二冊の新書を熟読し今でも時々読み返すのですが
特に久石さんの「音楽家としての生き方」には感銘を受け
今その生き方を実践しているところです。

脳科学者としての茂木健一郎先生の、音楽に対する姿勢は大変素晴らしく、科学者の視点が面白く、これらの2つの本と、数少ない作曲家に関する資料を統合した結果、この「ひらめき」という意図的には引き起こせないと思える現象を「意図的に起こす」という事が可能であると私は信じています。

DTMで作曲する私は、常にパソコンの前に向います。
しかし、パソコンの前でこの「ひらめき」が起こった事は一度もない。
常に、それ以外の環境で起こることがわかっています。

偉大なるベートーベン先生も、メロディーの動機が浮かぶのは
もっぱら「入浴中だった」という証言が、メイドによってされています。
朝起きると入浴し、大声で歌い、良いのが浮かぶとだだだだっと半裸で走ってきてピアノに向かい、一心不乱に楽譜を書き、おかげでいい曲が書けたが代償として風邪をひいた、という手紙を友人に宛てています。

スティーブ・ジョブズは毎日散歩を欠かせなかったといいます。その散歩中に浮かんだアイデアが、ヒット商品の殆どの割合を占めているとも云います。

私は、というと、入浴中にメロディーや全体像が降りてくる、という頻度が大変高く、また、睡眠直前。布団に入ってさー寝るぞというその瞬間が最も降りてきやすい。
散歩中もそうですが、残念ながら散歩中は書き留めたりできません。歌うわけにもいきません。なので、散歩中に浮かぶと、それを書き留められない分精神が病むので、散歩中はできるだけ「浮かばないように」しています。例えば音楽を聞きながら歩くとかして、逆に「ひらめき」が起こらないようにしています。

これらからわかってくることは、ひらめきとは、目的の行動以外の時に起こるということです。つまり、音楽の事を考えている時は、音楽は降りてこない。

人間の脳は大変興味深い。なにせ、論理思考の先にひらめきは無いのです。おそらくこれが「才能」とか「感性」と呼ばれる部分なのでしょうが、そんな魔法みたいなスキルはありません。きっと何か理論で説明できるはずです。

このひらめきを意図的に、毎日、常に起こせる、という事は、毎日意図的に奇跡を起こせると言うことです。音楽家としては夢のような毎日でしょう。降りてくるのをただひたすら待つ、という人も多いでしょうが、これが何故このタイミングで、よりによってこんな時に、という経験がある方も多いでしょう。全くその通りで、「よりによってこんな時」を毎日起こせばいいだけのことです。

音楽を作ろう、と思った時にまず真っ先にパソコンに向かったのでは、何も生み出せません。雰囲気とノリだけで作り始め、形に出来たとしても何の感動も生みません。そういう「量産品」も必要な世の中なので、それ自体もクリエイターとして必要なスキルです。しかしそればかりやっていると、あっという間にアイデアの枯渇を生みます。行き詰まり、何か新しいものを入れないと前に進めなくなります。新しい音を手に入れたりプラグインに手を出したりし、「新しいおもちゃ」で遊びます。新しいおもちゃは実験的な生産物は生まれるかもしれませんがそう長くは遊べません。飽きて、また行き詰まって、新しいおもちゃを求めます。

モチベーションの維持に、「新しいものを買う」という事を繰り返していると、そのうち「新しいものを買ってもすぐに飽きる」という事すらも覚えてしまいます。となると八方塞がりになります。

音楽を作ろう、とした時に、真っ先に楽器を持つ人も多いでしょう。作曲しようと思ってるんだから当然だろう、と思う人が殆どだと思いますが、前述の通り、ひらめきとは目的とは無関係な行動の時に起こるものです。つまり、楽器を持った時点でひらめきは起こらない。実に過酷な真実です。

ひらめきは、音楽行動以外で起こる。食事中、入浴中、読書中、散策中…、その際中に浮かんだアイデアを、憶えて帰るのは大変困難です。メモが必要です、記録が必要です。今はスマホがあるので録音も可能ですが、最も便利なのは「楽譜」です。
楽譜が読み書きできる、という重要性は、ココにこそあります。

では、降りてくる、を意図的に生み出すために、私達が出来ること、について次回触れることにします。ただ作ればいいだけじゃない。いい曲を作るために、作曲家として日々心がけたい事、です。

久石譲「感動をつくれますか?」は名著です。


2018年1月23日火曜日

いい音するじゃないですか

コミティアに向けて、オリジナル楽曲を作る日々ですが
珍しく、エレピの音が欲しくなりまして(El Piano)
いろいろと物色しておりました。

いつものOmnisphereを使っていますが
最近作っているのは「日本のギャルゲー的なイメージの曲」

海外製の音源やリズムループ素材は
使いづらい事が多いですがその理由について考えていました。

自分が作っているのはゲームで使われるための音楽ですが
やはり、ゲームの音楽とテレビ・アニメなどでの劇伴は大きく異る点があります。
それは、音色の質にあります。

音質、という表現にしていないのは誤解を招くからです。
音色の質、というのはこの場合、大変難しいニュアンスなのですが
デフォルメされている音か否か、という事。

音のデフォルメ、とはどういうことかというと
具体的に言うと、ハード音源はデフォルメされている音だと言えるでしょう。
生音の存在感とは異なり、作られた音。
リアリティーよりも使いやすさを優先させたサウンドデザイン。
サウンドエンジニアが苦心して作った音。

生音をサンプルバックして鳴らす現代のソフトシンセとは異なり
いかにシンセサイズするかという所にエネルギーを注いだ音。

ぶっちゃけると、90年台のシンセの音。

以前、私は強く悩んでおりました。
ハードシンセの音と、生音系のソフトシンセの音とを比較し
確かに、生音系のVSTiの方がいい音がする事はわかっていたのですが
どうにも、ハードシンセの方が良いような気がしてならなかったのです。
それは、今まで慣れ親しんだ音に対しての執着である、と
意図的に遠ざけて来ました。

なので、100%VSTiで。生音のサンプルバック系の音を多用してきました。

しかし、一昨年、聖剣伝説2、バトルオブブレードなどの音楽を担当されている
菊田裕樹氏にこの疑問をぶつけてみたのです。

菊田氏の音楽は、スーパーファミコン「聖剣伝説2」はあまりにも有名です。
ふつーに聞けるサウンド。それを、あのスーパーファミコンのガッチガチの制約のなかでやってのけることの、途方もない労力と努力と工夫の結晶は、実はあまり知られていません。実際に仕事でスーパーファミコンの音で音楽を制作する機会があった私は、その、先が全く見えない試行錯誤を繰り返した先人たちの苦労を少しだけ体感できたわけですが、一曲作るのに音色を整えるだけでも三週間かかったんです。

何故あんなにいい音なのか。良いと感じるのか。
生音とはほど遠い音ですが、強くその楽器を感じさせる力強い存在感。

菊田氏の回答は明快でした。

デザインされた音だから。

生楽器の音、とは、楽器自体にサウンド・デザインが施されています。
生楽器がデザインされていない、というわけではありませんが

ハードシンセの音は、そこからさらにデザインされている。
シンボル化されている。
人間が、例えばバイオリンに対して期待し、認識する音の要素を
ぎゅっと凝縮し、伝わりやすく、わかりやすく再構築しなおした音。
偽物なのに、本物よりも本物を感じやすくする、というデザイン。

そして、もう一つの要素は「音の並び」
バイオリンに向いている旋律。
ギターに向いているアルペジオ。
笛に向いている動き。
それらと、デザインされた音が組み合わさった時
いい音楽が出来る。

一流の生楽器の演奏家は、曲によって音をデザインし直すという概念があります。
よく考えれば当然ですが、曲によって音の質を変えるのは当たり前です。
ギターは良い例です。エフェクターの力を使って音をデザインします。
バイオリンもフルートも、一流の人たちは吹き方で、弾き方で、デザインするのです。

ハードシンセはその「デザインされた音」であり
生音の存在感を超える事があります。
私は自分の価値観で測らずに
「生音から収録した音なのから、良い音なはずだ」
という概念に縛られていたようです。
でも私の中の何かが常に違和感を訴えていたため、ずっと疑問に思っていたわけです。

最終的に「これ、いい音するじゃないですか」で良かったわけです。

2018年1月19日金曜日

メロディーがあると使いづらい?

今年頭から取り組んでいる
版権フリーノベルゲーム用のBGM集、の製作ですが
1日一曲のペースでの製作。

BGMとして、使いやすさを考えると
メロディーが強い音楽はやはり目的が違います。

そもそも、メロディーが強いってなんでしょうね。

「心に残るメロディー」についてずっと勝負してきた音楽人生で
これ程過酷な試行錯誤はありません。
感覚としては、普段時速300kmで走る事を課してきたのに
40kmで走れ、と言われているよう。
以前の私なら発狂のレベルです。

ただ、お仕事としてBGMを製作すると
この40kmで走る、は何も難しいとは感じないのです。
自分が音楽を作るぞぉ、というモチベーションでは激しい葛藤と戦うことになりますが、仕事だとなれば別にそんなに苦ではないことに気づき

じゃ、発注すりゃ良いじゃん自分に、と
ちゃんと発注書と指示書を作り、自分に発注。
すると、出来るんですよ。ストレス無しに。

音楽作りてえ、となったら
別枠で作りゃ良いんですよ。

常にいい音楽を心掛けていますが
良い音楽の定義を、ルールを、柔軟に変更できるようになったわけです。
「好きにやって良いよ」っていうお仕事も大好きですが
素材集として売るからには使いやすいと言ってもらいたいわけです。
使いやすさのために、何が出来るか、とこれほど真剣に取り組んでいるのは
自分が企画したものでは初めてです。

自分に発注書を書く、という行為が意外と良いんだなぁと
気付いたのです。

2018年1月18日木曜日

音楽と記憶の関係


このような返信がありましたので、自分が思うことを書いてみようと思います。

「人間は思い込みでできている」
まずこの話を先にするべきです。

人間の生活、感覚、習慣は否応なしに「環境」に影響を受けます。
日本という国は島国であり、外界から隔絶された環境ですのであまりこの意識はしませんが、現代多様化しているのでその一旦を見る事ができます。

例えば、「炊きたてのご飯」と「焼き立てのパン」の違い。
両方主食ですが、住んでいる環境によって経験が異なります。
毎朝ご飯を食べる家庭と、毎朝パンを食べる家庭では、2つの印象は全く異なるのです。
両方とも良い匂いだな、というのは感じれても、そこに様々な感情が入るかどうかは、その人の経験とおかれている環境によるのです。

嗅覚とは形の無い感覚であり、音とほぼ同じです。
経験とは、一つの感覚だけに特化したものではありません。
味覚、嗅覚、聴覚、視覚、触覚、全ての複合の蓄積が「経験」です。
そして、その一つがスイッチとなって、他の感覚を呼び起こしたり、
あるいは逆に「経験」を思い起こさせたりするわけです。

ゲーム音楽について言えば、まず【ゲームを楽しんだ環境】が重要です。
ゲームとは、もちろんの事ながら、自らの選択と意思でするものです。
イヤイヤやらなければならないものでは無い、というのを前提としています。
ゲームをする、というのを「行動」として受け取った時、その動機について考えると
「遊びたい」という(酷く大雑把ですが)感情に全て繋がっています。
つまり、ゲームとはポジティブな感情としか結びついていないものなのです(本来は)

その、ポジティブな感覚とだけ結びついているゲームの経験は
当然の事ながら、複合的な要素で「経験」として結晶化されています。
その結晶を分解すると、視覚、触覚、聴覚、そして感情に分けられます。

ゲーム音楽が持つ特徴。
それは、ポジティブ経験を想起する、という点にあります。
それは実は…、音楽的な内容とは、ほぼ無関係な状態にあります。

バトル曲。人気ですね。戦いの音楽です。
今から25年くらい前のスーパーファミコン全盛期、私の両親に言われた言葉があります。
「そんなに焦らせるような音楽ばっかり聞かされて辛くないか?」

バトル曲はRPGにおいて、そもそもが「危機」を想起させるための音楽ですから
焦らせる、という発想は正しいことになります。クリエイターの勝利です。
しかし、ゲームをするという経験が無い世代において、ゲーム音楽は
【置かれている環境やシーンを表現するための音楽】に過ぎません。
当然の事ながら、娯楽としての音楽として聞く事ができないため、
「がちゃがちゃうるさいだけの音楽」になってしまいます。

ジャズ。人気です。
私も音楽家の端くれですので、ジャズに触れたことくらいあります。
ですが、正直な話、ジャズと良い想い出が直結していないため、良さが良くわかりません。技術的な要素はわかっても、良さを理解するに至っていないのです。

音楽とは、必ず「経験」と結びついて感動を起こします。
(「経験したことがない」というのも感動を起こす一つの要因になるでしょう)

映像として映し出されるゲームを楽しんだ世代においては
視覚と聴覚はとても重要な役割を果たします。
例えば、ファミコンの音とドット絵の関係です。
ドット絵は、ひと目見ただけでゲームを想起させます。
ファミコンの音も、ゲームを想起させるのです。(日本人だけに限った話かも)
その2つを結びつけると、本来存在していない「ゲームの存在」を意識付けすることが出来ます。

初めて聞く音楽なのに、初めて見る絵なのに
あたかも過去に自分が既に経験済であるかのような親近感を引き出す事ができるのです。
人間は「あ、それ知ってる」は何よりも強い感覚です。
音楽を作り出す上で、その「あ、それ知ってる」をいかに上手く利用していくかが
多くの人に受け入れてもらえる条件となるのです。

BGMと体験を切り離すと印象が変わってしまうのではないか?

答えは「YES」です。
その音楽を聞いた環境の違いによって、印象は大きく異なります。

検証案
10人のグループを2つ以上準備します。Aグループ、Bグループ、Cグループとします。
誰も知らないBGMを準備し、それを聞いてもらい、どんなシーンに合うかを書き出してもらいます。
ただし、B、Cグループには、BGMとは全く関係ない写真(イメージ)と共に音楽を聞いてもらいます。(意識させないように自然に)
Bには、ドライブをするイメージを
Cには、女の子たちが遊ぶイメージを
Aには、何もイメージを与えない

すると、どんなシーンに合うか、という結果はおそらく大きく変わると思われます。
(検証してみたいもんですなぁ)

視覚情報を与えるだけで、音楽の印象は大きく異る。
これはおそらく、写真じゃなくて「単色」でも変わると思われます(検証したいなぁ)

もし結果が予想通りなら…、人間が音楽を聞く際に過去の経験が大きく作用している事がうかがい知ることができるのです。

以前「DTMer meeting」で企画した「オレが考えたシリーズ」では
一つのシーンに対して、多くのクリエイターが曲を付ける、という検証をしました。
結果は驚くべきもので、全員全く違うのです。
ひとつも被らない。
話に聞くと、好きなゲームのジャンルが全員全く違うのです。

万人に受け入れられるBGMというのは極めて難しい事がわかりました。
そんな中でも、サウンドクリエイターはシーンのBGMとして
ユーザーが違和感を覚えないように、と神経をすり減らして音楽を付けます。

2018年1月17日水曜日

和の旋律

最近、和風な音楽を作っています。

この「和風」という言葉、実はあまり好きじゃない。
日本の古来の音楽というと真っ先に「雅楽」を思い浮かべる人もいるでしょうが
実際、雅楽は宮廷、宮使いの音楽でした。
祭り事(政治は宗教観が強かった)を行う際には、BGMはまさしく平和的に
無駄な争いを起こさないようにする「心理操作」みたいな装置でした。
雅楽の音楽は、感情の方向性を持たず、ひたすら優雅に、ひたすら心地良くなるために設計されています。

しかし、「和風」とは異なる概念です。
「和風」っていうのはおそらく、古代の人々の中でも労働階級、農民から自然発生した唄から脈々と受け継がれた音楽観であり、唄なので単旋律です。
民謡に近い。
民謡に使われる楽器は主に三味線と尺八。ですからここに琴が加わるのはあまりよろしくない。
さらに、そこに西洋のオーケストラやピアノなんかを加えようとしているわけですから、
「和風」ってなんだろなー、って事になります。

結局トドのつまり、私にとって和風とは「もののけ姫」なんです。

2018年1月16日火曜日

クオンタイズかけないの?!

Twitterでの話題です。

クオンタイズかけないのみなさん?

友人のはるきねるさんが、「弾き殴れ!」みたいな事を書いておりまして
クオンタイズを切る、なんて怖い事を言うわけです。

弾ける人はいいよな弾ける人はっ

いや、実際に私もDTMerの中でもそれなりに弾ける方でありましょう。
もう、本物のピアノから20年近く離れていますので
ピアノの指は失われています。
シンセを弾く指で、ピアノっぽい事をやっている、という程度でありましょう。
そんな手でも、作曲をするには大変役に立ってくれます。



クオンタイズをかけない、なんてことはありえない…
そもそも、弾いたままにしておくなんて

ぜっったいにしない

それはもちろん、自分の弾く手に自信がない事に他ならないのであります。
よって、「制作の手法として」の話ではなくてあくまで
私自信の問題です。

ちなみに、クオンタイズとはなんぞ?と思う方にざっくりと説明すると
ピアノを弾くと、正確なタイミングではありません。
それを、正確なタイミングに修正してくれる機能です。

人間が持っている感情などの表現を反映させるためには
正確過ぎると機械的であるため、クオンタイズ機能を切るというのは
当たり前に存在する技法です。

私はクオンタイズ値を64に固定しています。
これで、十分人間らしい表現が可能であると思っているからです。

弾くのに自信があるなら…、こんなことしなくていいんです。

ピアノ・・・練習しよ・・・

2018年1月15日月曜日

和楽器が足りない…

「和風」のイメージの正体は「音階」にあります。
いわゆる、ヨナ抜きと呼ばれる音階。

C D E G A C という音階です。

正確には違いますが、イメージは合っています。

しかしながら、和風というイメージは元々誰が作ったものでしょう?

近代の和風のイメージを形作ったのは
「もののけ姫」じゃないでしょうかね?

時代劇のテーマとか、演歌とか
そういうものの系譜に、現代の和風のイメージは無さそうです。

ゲームでも、Madara、とか、天外魔境とか、がんばれゴエモンとか
和を題材にしたものが沢山あります。

本物の「雅楽」なんて聞いちゃうと、わけわかんなくなりますし
古典芸能をいくら眺めても、現代の人が期待する「和風」は作れなさそうです。

音色もとても大事な要素ですが
民族楽器はとにかく音源での再現は難しいのです。

KOTO13 は大変良い音源です。

なんと美しい…和琴なんでしょう。

三味線も欲しい…

でも一番今必要なのは、笛です。

横笛です。

もし良い横笛を知っていらしたら、教えて下さい。
もちろん、VSTi音源の事です。

2018年1月14日日曜日

クッキー一枚の威力

音楽の先生としての仕事をしていますが
土曜日はとても過密なスケジュールです。
今日は13時から20時まで休み無しです。

個人レッスン1時間なため、トイレに行くことくらいは出来ますが
休憩というようなことはできません。

その間、喋り通しなので喉が渇きますから
タンブラーにいれたお茶を持っていって飲みながらのレッスンです。

しかし、ぶっ通しのレッスンでは
後のレッスンであればあるほどコストパフォーマンスが下がります。

後半の生徒さんには常日頃申し訳ないなぁと思っているわけですが
元気がどんどんなくなっていくわけです。
私なりに、全力でレッスンしているためどうしてもエネルギーがなくなります。

そこで役に立つのが、クッキーです。
クッキー一枚食べるだけで、エネルギーが戻るのです。

クッキー一枚で変わる。
そんなこともあるのです。

2018年1月12日金曜日

生徒さんの話

お孫さんがいる生徒さん。
お正月に、二人の男の子のお孫さん(7歳と4歳両方男子)を相手にしたため
疲労の為に筋肉がやられて、未だに治っていないとの事。
固まって動けない。

男の子を相手にするのは本当に大変。
キーック!
ジャーンプ!
どしーん!
さすがに全てを受け止めるのは無理が出てきます。

私にも4人甥っ子がいますが
「遊び相手」としては認識されていないようです。
子供が苦手、というわけではないんですが
戦いを挑んで来ない…残念です。
何故でしょう?

身体が大きいからでしょうか?
少し小さくなったつもりなんですけどね…


2018年1月11日木曜日

ヘッドフォンが

久々に会う方には未だにびっくりされますが
二年前、今よりも14キロ太ってました。

14キロっていう重さがどれくらいかわかりますか?
私が持ってる、結構大きめのダンベルが15kg
シンセ一台だって最近こんなに重くありません。

14キロの脂肪…ってどのくらいの量かわかりますかー?
いやー、恐ろしい…

まだまだ痩せたいんですが、まー、焦らずに行きます。

去年の服は全て合わなくなり、
上下共に全部総替えです。
靴ですらサイズが合わなくなるという…
少し痩せたはいいんですが、このあたりのサイズ感がまるで異なってきます。

私は左耳に対して右耳が少し上についているため
ヘッドフォンをすると左右感がすこしずれてしまうため
できるだけスピーカーで作業をしています。

ですがボーカルモノを作る場合には、繰り返し同じ場所を再生すると
家族が苦痛を伴うため、ヘッドフォンをします。

このヘッドフォンが久しぶりで…1年ぶりくらい。

装着してみて…あれ??

…でかい…

正確には、ヘッドフォンのサイズをあわせるための機構の部分が
以前と同じ幅だと緩くて…、収まりがよくありません。
縮めてみます。丁度よい…

頭にすら肉が付いていたというのかーーー!!

今まで、頭が大きすぎて諦めてきた「帽子」が…
かぶれる日が来るのかな…


【告知】いや、18禁じゃないよ

DTMer meeting8 を2月12日にやることにしました。
新宿で。
アピールボードを作っていたのですが…
最初なこんなんだった。


なんとなーく既視感があって…まー、でもいいかーと思ってたら
アレです。
18歳未満禁止のマーク

やべー、似てる。
DTMer meetingは18歳未満の方でもお越しいただけます。



結局このデザインに落ち着く。

デザインって難しいですよね。
私はフォトショで全てやってますが、見た目ってほんと大事です。

DTMについての勉強会です。
いろんな人の価値観と、つながりが持てるイベントですので
名刺と、自分の曲と、器材とをお持ち込みいただくことをオススメします。
参加要項はこちら

ドラゴンファングZの素潜り大会ではありません(念のため)

2018年1月10日水曜日

ラジオ体操

朝起きて、第2
夜お風呂入る前に、第1

毎日やっています。

2年くらい前に、朝起きたら第1だけやっていたのですが
慣れてきたので夜もするようにしました。

とにかくデスクワークが多いので
こんな些細なストレッチも重要になってきます。
コツとして、手のひらを外側に向けて背伸びの運動、とかやると
肩甲骨がありえない悲鳴をあげます。

作曲で行き詰まったら、とりあえず腹筋をしてみたり
スクワットをしてみたりするのです。
そうすると、自然と突破口が開けます。

最近取り入れたストレッチで
四つん這いになって、片足をピンと伸ばす運動。
亀仙人がよく見てるエアロビの動きです。
あれが、座りっぱなしのお尻とお腰によく効きます。

でも、おそらく側からみると
著しく美しくない光景でありましょう。

ワンツー、ワンツー



2018年1月9日火曜日

職人技?

時々舞い込む、低価格のゲーム(アダルト)の依頼。

本来、仕事の内容なんでこういう事をブログに書くべきじゃないんでしょうけど
でも、そんなんだから職人ってやつは消えていっちゃうんですよ。
だから書く。

葛飾北斎だって、春画が芸術作品としてもてはやされている昨今、
存命当時、果たして彼自身「黒歴史」としての自覚があったのか
それとも、そんなことはお構いなしに描いていたのか
それは定かではありませんが

それこそエロスは人類共通の永遠のテーマであります。

音楽というやつは、理性の産物です(きっぱり
つまり、エロスと音楽は、元々共存できない関係にあります。
絵でエロスを表現は出来ても、音楽だけでエロスは表現出来ないのですよ。
も と も と

さー、この難題に挑むのです。
音楽だけでエロスを表現することは無理であるとして
そのシュチェーションは表現出来ます。
シュチェーションが全くないものを表現するのはとてつもなく難しいのですが
幸いなことに、こういうゲームはたいてい、シュチェーションが存在します。

恋愛モノとか学園モノとかなら、やりようはいくらでもありますが
「ただエロいだけ」という内容の場合、難易度は一気に上がります。
しかも、画面が動いてくれるアニメなら、まだマシなのですが
動いてない…静止画系のゲームとかだと…もーーーー大変です。

まず、動かなきゃいけないんです。

情緒的なメロディーなんか書いちゃうと、台無しです。ぶっ壊れます。
というか、確実にリテイクが来ます。
低価格の仕事でリテイクは致命的です。
メロディーがほぼ無く、動き続け、なおかつシーンに合ってなければいけないし
なおかつ、怪しさみたいな感じも出さなきゃいけない。

私は、結構この「試されてる感」が好きで、好んでこの仕事をしています。
私が今まで経験した中で、最も難しい部類の仕事です。
サントラ系の仕事の中ではとてもとても普通の仕事ではありません。
なので、この仕事をする度に、頭を抱えます。
マゾには丁度よい仕事です。

では具体的にどうするか、というと…

回答) Stylusを使います



2018年1月8日月曜日

糖分が不足する

今日は朝からずっと曲作り。
月末に締め切りを控えた案件(お金は出ないけど)

私はよく、SNSをしながら仕事をします。
具体的に言えば、Twitterです。
見ながら、書き込みながら、音楽をやっています。

その姿をよく見ている家族から
「ちゃんと集中してやれよ」と怒られます。
しかし、残念ながら、それをやってしまうとあっという間に頭痛に見舞われます。

普段、スピーカーで曲作りをしていますが
今日は…、ボーカロイドモノだったためヘッドフォンで作業。
人の声がする曲の制作は、製作者本人は全く意識しませんが、
家族に大変なストレスがかかります。

ヘッドフォンでの作業は集中できます。

…いい事じゃないか? と思うでしょう。

私の場合、5時間も6時間も平然と集中状態が続くため
あっという間に脳の糖分が枯渇します。
そして、臨界を超えると激しい頭痛に悩まされ、数日影響します。

「注意をそらしながら作曲する」
という事は、身を守るために、毎日コンスタントに作業をするために
大切な要素の一つなのです。

不真面目み見えるかもしれませんが
「集中して作曲」なんてもんを毎日やったら、確実に寿命を縮めます。

この事をわかってくれる人は極僅かです。
失った糖分を補うために、ケーキをむしゃむしゃ食べるわけにもいかんのです。

なので極力集中しすぎないように…とTwitterをみながら作業をしているのです。


2018年1月7日日曜日

初詣とたまご


ココ数年、初詣に行く神社を決めております。
金蛇水神社

初詣に行く神社を毎年変えるというのも、なんとも信仰心の無い事であるなぁと思っておりまして、
そもそも、御利益、で神社を選ぶ場合、より多くの人が駆け込む神社の方が良いのか
それとも、信奉者が少ない方が確率が上がるのか
そんなことを年始に考えることも不遜なのであります。

数年前にただの観光として行った際、夫婦ともに大変気に入り
それ以降、信仰しております。

空気が非常に良く、水が美味しく、鯉が居て、見事な藤棚があり、牡丹園などがあり、
とにかく居て心地よい。

信仰の本来の姿とはこうあるべきだと思うのです。

御利益…とか、神様に言わせれば、「そんなこと言われてもさ」というのもごもっともで、人生の区切りに、神聖な場所に行き、身を清め、気持ちを引き締める、というだけでも十分な存在だなぁと近頃思うわけです。

先日、よく行く神社の御神体が蛇で、という話を
宗教学に長けた方にした所
日本は、蛇が神様、という信仰は実に古い。

石に浮き出た白蛇さんがたいへん美しく可愛く
財布を撫で付けるとお金が入ってくる、とかなんとか。
ずらりと並んだ蛇石全てに財布を撫で付ける強欲な方もおりますが
わたしは気に入った一つにのみ、今年も頼みますとスリスリ。

お供え物として「たまご」をあげるという話をきいて、
今年は準備しました。たまご。

初詣は願い事はしません。
挨拶に伺うのみ。

本年も良しなに、良しなに。







くしゃみが出るのは…

毎年、今年こそは始めよう、続けようと思うブログですが
この10年間、挫折し続けています。
そのくせ、Twitterは毎日懲りずに続くので、きっと何かがおかしい。

まー、今日から何日続くかわかりませんが書いていきます。

今朝は朝からくしゃみが出ます。
年中くしゃみが出ます。
生まれつき…というより、3歳の頃に怪我をしたことがきっかけで鼻は弱く
小学生の頃は頻繁に鼻血が出たため
「エロ魔人」の烙印を押されていました。

少年漫画でよくあるお色気シーンで鼻血が出るという表現ですが
そもそも、本当にそんなことが医学的に起こるのか疑問。
頻繁に鼻血が出るという状態は二十歳前後まで続き、それからは収まりましたが
今度は年中くしゃみが出るという始末。
まー、毎日腹筋が鍛えられていいか、くらいの日常茶飯事ですが
不思議な事に、「音楽を作っている時にはくしゃみは出ない」のです。
気が緩んだり、リラックスしたり…、いわゆる「油断した時」に出るのです。

これもまったくもって不思議な話です。
病は気から、と申しますが、
ようするに「気の持ちようでどうにでもなる」という事は多いのではと思うのです。

人間、好きなことをやってる時間ってのは、痛みも痒みも感じないのかも、しれません。